死が怖い理由。どう向き合い、超えていくのか【生死の一大事】(1)

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■もう、17年ほど前でしょうか、NHKに『映像の世紀』という番組がありました。世界中に残されているフィルムから20世紀のいう時代をひもといていくドキュメンタリーです。
好きな番組だったので、とある年末の一日をかけて全何巻、
見続けたことがあります。

ヒトラーが台頭し、やがて堕ちていき、スターリンが権勢を握り、やがて死に、毛沢東が頭角を現し、
やがて没し・・・

一気に観たせいもありますが、人間は同じことばかり繰り返していることをつくづくと考えさせられました。

■温泉旅館に泊まりますと、きれいな掛け軸やインテリア、風光明媚な庭や清潔な布団などあって気持ちいいですが、どんなに「これいいな」と思っても、その日一日だけしか自分が自由にはできないものです。

旅館を出るときに「気に入ったから」といって、部屋から持っていったら、窃盗罪で逮捕されます。
その日一日だけの、しばらくの所有物です。

■考えてみれば、私たちが手にしている財産も地位も名誉もこの世にいる間だけ、しばらく自分のものになっているもの。死んでいくときには全部置いて丸裸でこの世を去らなければなりません。

人と駆け抜け争い、手に入れて、「おれのものだ」と誇っていてもしばらくの間、夢幻のように消えていく、はかない一生の間だけのことです。

大金を手中にしたとっても、権勢をほしいままにしたといっても、歴史絵巻をクルクルと早送りボタンを押してみれば、温泉旅館の客の出入りさながらです。

朝、客が部屋を出ていけば、昼過ぎにやってくる次の客が使う部屋となる。その客も翌朝には出て行って、また次の客の入ってくる準備が始まる

どんな権力者とて、一夜の温泉宿の一介の客にすぎません。

『まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、我が身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路の末、三途の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ』(蓮如上人)

 


死について【生死の一大事】(2)

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ある女子高生が階建てのマンションから飛び降りました。

いじめを苦にしての自殺だったのです。

 

遺書を残しましたが、そこにはよくあるような、いじめた級友への恨み言などはなく、ただ両親へのお詫びの言葉と「永眠したい」と書かれていたそうです。

 

彼女は死んだら永遠の眠りにつくものだと思っていたのでしょう。

 

一度眠ったら朝に目覚まし時計が鳴るまで意識がないように、死んだら意識が途切れてそのまま二度と朝を迎えることなく、無になる、そんな死のイメージを持っていたのでしょう。

 

その彼女、飛び降りたときに即死ではなく、大木の枝葉にぶつかり、枝を折りながら落ちたそうです。

 

それがクッション代わりになり、即死ではなかったのですが、首の骨が折れたのです。

 

すぐ救急病院に搬送する救急車に乗り込まされ、酸素ボンベをつけられ、懸命の治療が施されたのですが、治療むなしく、その救急車の中で息を引き取っていきました。

 

その虫の息の彼女が救急車の中でうわごとのように言い続けたのが「痛い。痛い。」「怖い。怖い。」

「死にたくない。死にたくない。」という言葉だったのです。

 

「痛い。痛い。」これはわかります。指の骨が折れただけでもどんなにか痛いだろうに、首の骨が折れたのですから耐え難い痛みでしょう。

 

しかし問題はあとの二つの言葉ですが、「怖い。怖い。」とはどうしてか。

 

死んでいかねばならないことを恐れおののいているのですが、彼女はこの世に生きているより死んだほうがましだ、と自殺を選んだのでしょう?

 

どうして今になって「死ぬのが怖い」と感じるのでしょうか。

 

「死にたくない。死にたくない。」

これもなぜでしょう。彼女は死にたかったのではないのか?

 

首の骨が折れて、「死ななければならない!」といよいよ死が眼前に突きつけられて初めて

「死んだらどうなるのだろう。死にたくない。怖い、怖い。」

と本心が叫び声をあげるのです。

 

【死んだらどうなるのか】

この圧倒的な不安、恐怖は、わが身が死に直面した、その時でないと正体を現さないのです。

 

ビルの屋上に立っているときは、まだ「死ぬ』ということがどこか他人事です。

 

自分が死んだら、周りはどう思うかな、クラスメイトは悔やむかな、家族は悲しむかな、と考えるのは、死が他人事だからです。

 

首の骨が折れて自己の死を自覚して初めて「死んだらどうなるのか、一人ぼっちでどこに行くの?!」

と、本当の死の恐怖を知るのです。

 

終幕の人生にならないと誰も気づかない落とし穴だから、チェーホフ(ロシアの小説家)は、代表作『六号病室』で「人生は、いまいましい罠」と表現したのでしょう。


 


死について【生死の一大事】(3)

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今度は東海地震がやってくると言われています。

 

30年以内に87%の確率でやってくるそうです。

 

私(菊谷隆太)は愛知県出身なので、子供のときから言われ続けていますが、なかなかこないものですから、東海地方の人もどこか慣れっこになってしまっていることがあるように思いますが 【天災は忘れた頃にやってくる】警戒していきたいです。

 

愛知の実家は大丈夫か、浜岡原発は大丈夫か、検討しなければなりませんね。なにしろ30年以内に地震がやってくる可能性87%ですから。

 

しかしあなたご自身が30年以内に死ぬ可能性も相当高いのではないでしょうか。

 

たとえ30年以内でなくても、向こう100年以内には100%やってくるでしょう。

 

87%にはワーワー騒いでも、100%ぶち当たる「死」は問題にしない。これが迷いの実態です。

 

その昔、なんとか出家を止めようとする浄飯王に、シッタルタ太子(お釈迦様)は「私を死なない身にしてもらえるなら出家をやめます」と言われました。

 

「そんなことになれるものか。無茶なことを言うものではない」

と、浄飯王はあきれかえって立ち去られた、と伝えられています。

 

「これだけはどうにもならない。」

「考えないようにするしかない。」

 

浄飯王のみならず、みんな目を背けている問題でしょう。

 

では、目を背け続けることができる問題なのでしょうか。

 

もしあきらめられるなら、87%もあきらめたらいい

 

「あきらめたらあかん」といわれます。「あきらめないのがモットーです。」と口にする人もいます。

確かに行灯であきらめていたら電気はなかった。ラジオであきらめていたらテレビはなかった。もっとよくしよう、というあきらめない姿勢を元に今日の文明があります。あきらめないのが大事だと人類は向上してきました。

 

しかし死の問題に関してだけは完全にあきらめ主義です。

 

すべての人はあきらめ主義です。

 

そんな中「あきらめろと言われてもあきらめられない。」とあきらかに見て、釈迦は出家されたのでした。29歳の御時でした。



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