仏教の教えで怒りはスーッと楽になる【瞋恚(1)】

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極力怒らないようにしたいと、
誰しも心がけようとしていますが、
どうしても怒りをぶつけてしまうのが
「夫なんです」「妻なんです」
という人は少なくありません。

 

「夫婦ケンカは犬も食わない」といわれますが、
夫婦間の怒りは歯止めがきかなくなりがちです。

 

この人となら、と好き合って結婚した人のはずなのに、その人と一番いがみ合い、傷つけ合ってしまうのですから、人生の大きな苦しみの一つでしょう。

 

親の罵り合う姿を目の当たりにする子供にも、大きな傷を残します。
うつむいている自分の子供の姿を見れば、もうこんなケンカはしたくない、と思うものです。

 

「どうしてこうなってしまったのでしょうか・・」悩みを訴えられる方は男性にも女性にも後を絶ちません。

 

ではなぜ夫婦間の怒りはコントロールしがたい、やっかいなものなのでしょうか。

 

お釈迦様は、怒りの心はどこから来るのか、『怒りの元』を私たちに教えておられますが、
怒りの原因を学びますと、 なぜ自分の連れ合いに対して怒りを抑えられなくなってくるのか、
が知らされてきます。

 

夫婦ケンカ克服の第一歩として、なぜ相手に怒ってしまうのか、お釈迦様から学んでみましょう。

 

お釈迦様は怒りのもとは「私が」「誰々に」「何々を」してやった、という自惚れ心だ、と教えられています。

 

「私が」とは ▼「私がしてあげた」▼「実はそれ、僕がやったんです」▼「やったのは、オレ、そこのところを一つよく覚えて」 と言いたくてしかたないのが人間です。

 

「誰々に」とは ▼「あなた涼しい顔してるけどね、あなたのためと思って」 ▼「ほかでもないあなたのためだったんですよ」 と確認したい。

 

「何々を」とは ▼「こんなことまでしたんです」▼「私だって、暇があってやったんじゃない、こういうところをこんな思いをしてまで~」 と、如何に大変だったか知ってもらいたい。たとえ言わなくてもそのときの苦労を自負する心を忘れられない。

 

そんなあさましい心が「してやったのに!!」との、怒りの元です。

 

怒りというのは身近な人、近い人に対しておきることが多いのもそのためです。
家族とか、兄弟とか、、同室の友人とか。。
お互い支え合っている、助け合っている、そういう仲だからです。

 

見ず知らずの、たまたまテレビで見かけたオーストラリア人のジョンさんのことがむかむかして仕方がない、ということはないでしょう。

 

怒りが抑えられないのは、お互いがお互いのためにいろいろしてきたことがあったからでしょう。
相手のためにがんばってきたからです。

 

皮肉なことに、お互い好きあって「この人とだったら」と一緒になった人だからこそ、いがみ合い、罵り合うことになってしまう、とは悲しくつらいことです。

 

■夫は妻から無能呼ばわりされたり、軽んじられたりすると、激怒します。
「オレがどれだけお前たちのために働いてきたと思っているんだ!そのオレに対して、なんだ、今の言い方は!!」と顔を真っ赤にします。

 

よくわかります。奥さんのために相当心を砕いてきたから腹が立つのでしょう。
借金作って迷惑ばかりかけてきたとか、愛人作って奥さんを傷つけてきたのなら、
たとえひどくののしられたとしても、そこまで腹は立たないでしょうし。

 

家族のためだ、妻と子供を養わなければ、と残業で疲れた身体にムチ打って働き続けてきたのです。

 

奥さんと子供の笑顔を守らねば、と下げられない頭も下げて、長年にわたって外で戦ってきたのです。

 

その自分に対して「なんだ、今の言い草は!」となるのもわかります。

 

■奥さんは奥さんで、夫から無視されたり、邪険にされたり、悪態をつかれた日には、
「私は今まであなたのためにどれだけのことをしてきたと思っているんですか!!」
「お風呂も炊いて、ご飯も作って、仕事の邪魔しないように我慢してきた!その私に対してその態度はなんですか!」とヒステリックに怒ります。

 

これも夫のため、と思って、掃除、洗濯、炊事、夫の健康管理にも気遣って、栄養のことも考えて料理してきたことでしょうし、10年も20年も相手のことを考えてきたのです。

 

「それなのに、なんでその私がこんなこと言われなかればならないの!!」
赤の他人から無視されたり、見下げられるよりずっと腹が立つのは当然でしょう。怒りと悔しさで涙が出てくることでしょう。

 

夫は妻をたよりに、妻は夫を支えに、お互いのことを大事な存在だと思っています。愛情もなく、相手のことを思いやる心がない人ならば、ここまで怒らなかったでしょう。その人のことを想って大事にしているからこそ、「こんなに○○しているのに!」と腹も立ってくるのでしょう。

 

こんなに世話してやったのに、愛しているのに、我慢してるのに、・・・・等々。
この心が腹が立ち、辛い悲しい思いをさせる元になっています。

 

怒りをぶつけられると、怒っている人が悪人に見えてきますが、その怒りの背景には、大事にしてもらえない、感謝してもらえない、寂しさと辛さと悲しみがあるのです。

 

仏教が教える怒りの納め方【瞋恚(2)】

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あなたに怒りをぶつけてくる人は、 あなたのためにいろいろ心を砕いて、支えてくれている人だからこそ、そうなっているのかもしれませんよ、親切をしたときに「~してやった」の恩着せ心があるので、相手がうっかりほめもせず、感謝もしないと、腹が立ってくるのですよ、と先回話しました。

 

その人間心理が分かると、 親切を受ける立場になったときに、 礼を失するようなことがあってはならないなと、気を張るようになります。

 

■『親しき仲にも礼儀あり』といわれます。まだ打ち解けていない時は、相手に失礼なことをして気分を害させることをしてはならない、と気を張るものです。

 

ところが親しくなってくると「オレとお前の仲じゃないか」と気安くなり、手でやることを足でやるようになる。足でやることもやらなくなる。次第に相手からあきれられるようになるのですが、そんな、相手の心の変化にも気付かずに無神経なふるまいを続け、気がついた時は手遅れになる。。
こんな悲劇を繰り返してはならぬとの先人からのアドバイスが『親しき仲にも礼儀あり』のことわざです。

 

夫婦の仲もこのことわざがピタッとあてはまるように思います。相手が尽くしてくれることが当たり前になり、感謝の心を失ってしまった時に崩壊が始まるからです。

 

■結婚して初めての給料日、「家計のやり繰りはお前に任す。自分は小遣いもらうだけでいい」というご主人の寛大な態度に感動した奥さんも、それが続いていくうちに当たり前になり、やがては、小遣い多すぎる、だの、ボーナスが少ないだの、不満を漏らすようになる。

 

そうなると、夫としては「何の気になってるんだ。誰のために会社で朝から晩まで働いていると思ってるんだ。どれだけ上司や営業先に頭下げて、こっちが苦労して稼いでると思ってるんだ」と憤懣やるかたない気持ちになる。

 

■あるいは逆の立場から言っても、新婚当時、自分が家に帰ってくると、妻が暖かい手作りの料理を作って待ってくれている。独身のときはチェーン店の牛丼だったり、粗末な自炊だったのに、ありがたいな、と感激する。

 

ところがそれが続くと、いつしか当たり前になり、奥さんが食事を作って待ってくれていても
「済ませてきた」の一言だけで終わらせる。ねぎらいの言葉もない。「おい、メシ」「おい、風呂」
とぞんざいになっていく。

 

すると奥さんは「あなたの身体のこと思って食事作ってもいるし、気を遣っているのに、何あなたのその態度は~」と怒り心頭になりますが、もっともでしょう。

 

■だんだん仲良くなると、オレとお前の仲だろう、わかるだろう、とどうしても横柄になっていきます。

 

「親しき仲にも礼儀あり」と古人は教えたのに、つくづく脱帽です。
親しくなればなるほど、相手の気持ちを慮ることができるよう、努めていきたいものです。

 

いつまでも仲良くしていきたい、大切な人なのですから。


仏教の説くイライラしない方法【瞋恚(3)】

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怒っている時の自分の心を見つめてみると、
「自分は正しい、相手が悪い」
とカンカンに思い込んでいるのに気づきます。

 

怒りが収まらない時は、
相手の非を責める気持ちでいっぱいになっていませんか。

 

こないだも池袋の駅で駅員に「謝れよ!!」
と激高していた中年男性がいました。
何があったかわかりませんが、いい大人があんな大声出して見苦しいと、いぶかしげに人々が通り過ぎる中を、顔を真っ赤にして怒鳴っていました。

駅員の何かの言動がその人に何か迷惑をかけたのでしょうが、その非を認めさせないとどうにも収まりがつかなかったのでしょうね。

 

家庭でも職場でも「こちらはちゃんとやっているのに、なんでお前はいつも~」「私ばかりに苦労させて、どうしてあなたは~」とイライラすることは山ほどあります。
そこへきて相手がその言動を少しも反省していないと、怒りがどうにも収まらなくなります。

 

「正しい俺が間違ったお前を許しておけないのだ」という義憤に燃えて「正義の鉄拳、受けてみろ」
とばかりに息巻いている自分の心が見えてきます。

 

ところが、そもそもその「正しい自分だ」と思っているその心を、お釈迦様は『自惚れだ』と喝破されています。

 

そしてまた釈尊は「相手が間違っているからといって常に腹が立つのでもありませんよ。怒りの心を起こした時のことを思い出してみなさい。決まって『欲の心が妨げられた時』ですよ」と説かれているのです。

 

儲け話が、誰かのミスで台無しになった時、「あいつのせいで儲けそこなった!!」と怒りますが、
それは「もうけたい」という欲がその人によって邪魔されたからです。

 

人前で言ってほしくないことを言われ、「こいつのせいで恥かかせられた!!」と逆上するのは
「ほめられたい」の名誉欲がその一言で妨げられたからです。

 

朝、目覚まし時計で無理やり起きてくるとき、誰しも不機嫌なのは、睡眠欲が邪魔されたからです。

 

自分のやりたいこと、望んでいること、期待していることが誰かに邪魔されたら、とても穏やかでおれないのが人間なのです。

 

一方、相手がどんなに間違った人間であっても、自分の利害と関係のない場合は、腹が立ちません。

 

何年か前のニュースですが、エジプトで反政府デモがあり、そのどさくさにまぎれて、店の商品が略奪にあい、女店長が涙目で怒っている場面がテレビに出ていました。怒りに我を忘れているような憤慨ぶりでした。無理もありません。人生かけて守ってきた店なんでしょうから。

 

そんなニュースを見ても「おのれ、強盗した暴徒め~!」と私(菊谷隆太)が腹が立ってくるか、といえば、なんとも思わないのです。あくびしながら見ています。

 

しかしそんな私でも、自分に利害が絡むと全身逆立てて怒りがこみ上げてきます。

 

自分のものが盗まれたら、自転車一台でもただではすみません。
「人の物盗ってよく平気でおれるな!!」と激昂することでしょう。

 

【自分に関係ないとブタのように鈍感だが、いったん自分に害が及ぶと烈火のごとく怒り狂う】

といわれます。

 

自分に関係ない場合は、どんな悪いことをしている人がいても、 実に鈍感なのに、 いったん我が身に利害が絡むと、 とたんに全身逆立てて怒り出す。これが人間の実態です。

【欲のあるところ、怒りあり】
腹が立って仕方ない時には、自分が正しくて相手が悪いからではない、自分の欲が妨げられているからなんだ、と冷静に原因となっている自分の欲を見つめてみられてはいかがでしょう。

 

「金がほしい」「認められたい」「人の上に立ちたい」「大事にしてほしい」「楽したい」
必ず何か大きな欲の塊がそこにあったはずです。

 

自分の思いが満たされないからと当たり散らすのが怒りの実態と知れば、立派な怒り、ほめられた怒りというのはないことがわかります。かえって相手の思いを無視してわがままを押し通そうとしている自己の欲深さが見えてきます。



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