葬儀について(1)

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「孝行のしたい時分に親はなし」といいます。
親が生きているうちは、なかなか子供に親の恩は分かりません。

 

老いた親を孤独で寂しい家に一人放置し、ろくに訪ねることもなければ、電話もかけない。病になっても看病もしない。

 

そんな不孝な子も、親を失った時に初めて、何もしてあげられなかった過去を
“ああすればよかった……” “こうもしておけば…”
やり場のない後悔がとめどもなくあふれるものなのでしょう。

 

墓に布団も着せられず、遺骨にごちそうも食べさせられず、どうしたらこのやりきれぬ気持ちが落ち着くのか、恩に報いることができるだろうか、と思い悩むのは人の子として当然の情です。

 

世の中には「お経さまだけが死人のごちそう」「盛大な葬式をしなければ死んだ者が浮かばれない」
と言う人もあり、立派な葬式や法事を勤めるしか親の恩に報い、このやりきれぬ気持ちを静める方法はない、と思われがちです。

 

そのように教える僧侶がたくさんいるのも、否定できない事実のようです。

 

はたしてそれらの僧侶の言うように、盛大な葬儀をして、立派な墓を建てることが、亡くなられたお父さんやお母さんの供養となるのでしょうか。ご恩返しになるのでしょうか。そう教えられたのがお釈迦様なのでしょうか。

 

仏教における葬儀の意義についてよく知っていただきたく思います。

 

葬儀について(2)

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「孝行のしたい時分に親はなし」
親を亡くして不孝ばかりしてきた自己が思い出され、 立派な葬式や法事を勤めるしか、 このやりきれぬ気持ちを静める方法はない、 と供養する人は多いですが、 それが本当に亡き両親の御恩に応えることになるのでしょうか。

 

亡き親や先祖の恩に報いようとする時に、 まず知らなければならないのは、 親の最も喜ぶことは何であるか、
先祖の最も望んでいることは何か、ということでしょう。

 

お世話になった方にお礼をしようと、奮発して高価なブランデーを贈ってみても、そのご本人が酒を飲まない方だった場合、喜んではもらえません。

 

その方が好きな物、もらってうれしい物を贈ってこそ、喜ばれ、ご恩返しになるのです。

 

同様のことで、親や先祖の望まないことを、どれだけお金をかけてやったところで喜んではもらえません。 

 

亡くなった親や先祖に喜んでもらいたければ、相手がいちばん望むことは何かをまずよく知り、その通りにすることでしょう。

 

では親が子供たちに望み求めることは何でしょう。
○子供が毎日笑っていられること。
○健康で元気でいてくれたら
○自分はこの道を選んだことは間違いなかった、
と思える人生を送って欲しい。
○人の痛みのわかる心の優しい子になってほしい
○友人を大切にする人に
いろいろ挙がってきますが、せんじ詰めれば、 「子供たちよ、正しく生きてくれ、真の幸福者になってほしい」 ということではないでしょうか。 

 

それはあえて、亡くなった先祖を呼び出して尋ねてみるまでもなく、私たちが子供に何を望み、願っているかを考えれば分かられると思います。

 

私たちが子孫に切望することはただ一つ。「正しく生きよ、幸福になれかし」ということ、これに尽きると思います。

 

ならば私たちが一人一人胸に手を当てて、「親が悲しむような、恥ずかしい生き方をしていないだろうか」「親が今の自分を見たら、目を細めて笑顔になってくれるような人生を送っているだろうか」
と自問してみることです。

 

「幸せかい?」と尋ねられた時、心から「うん、ありがとう」と言えるだろうか。
生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、と心から感謝できるだろうか。

 

『人身受け難し 今已に受く』
人間に生まれてよかった、と生命の歓喜を受けることこそ、亡くなった人の最も喜ぶ最高の供養となるのです。


葬儀について(3)

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私の仏教講座に来られる方の中にも、大事な人を亡くした、やり場のない悲しみを抱えられた方々が時々来られます。

 

「供養になればと朝晩にお仏前で勤行しているうちにお経の意味が知りたくなりました」と言われる方も先日ありました。 高校生の息子さんを交通事故で亡くされたお母さんでした。

 

亡くなられた子供さんが引き合わせることになった尊い仏縁です。子供さんに合掌せずにおれない気持ちになります。

 

また定年退職を迎え、仏教講座に来られるようになった方から「子供のころ、母が仏前で正信偈をお勤めしていたのを思い出すが、今頃になってあの意味が知りたくなって」と言われるのもよく聞きます。
これも亡きお母さんが導いて下された仏縁でしょう。

 

【夢の世を あだにはかなき 身と知れと 教えて還る 子は知識なり】

 

子供が不幸にも先だつと、身を責め悲しむ親は、はかなく終えたわが子の不憫さに、人生の意味を問うようになります。

 

やがて幸いにも仏縁を結び、往生極楽の道を知った親は「この大事、教えて還る子は知識(師)なり」
と感涙せずにおれないのです。

 

故人を縁に、仏法に目覚める尊さを歌っている歌です。



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