「人は死んだらどこへ行くのか」仏教の答え【無明の闇(1)】

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都はるみの『夫婦坂』に
「この坂を越えたなら幸せが待っている。そんな言葉を信じて越えた七坂四十路坂」

という歌詞があります。


目の前に坂があって苦しい。この坂を越えたなら幸せが待っているんだからがんばれ、そんな言葉を信じて一生懸命越えてみるとそこにはもっと急な坂が待っている、


高校時代は「あの大学へ行きたい。あの大学に行きさえすれば・・」と一生懸命勉強します。

(もし志望校入れなかったら。大学行けなかったら。)

という不安と戦っています。


ようやく大学合格したと思ったら、しばらくすると就職の時期。

「早く内定とりたい。内定さえ取れれば・・・」と就活にいそしみます。

(もしこのままどこにも就職できなかったらどうしよう。)

という不安と戦っています。


ようやく内定とって新入社員となれば、しばらくすると適齢期。

 「結婚したい。あー、結婚できたら・・・」と婚活とか自分磨きしてます。

(このまま売れ残ったらどうしよう。)という不安と戦っています。


ようやく結婚して、しばらくすると仕事も忙しくなってくる。

「あのノルマさえ果たせたら、出世できたら・・・」と働いています。

(リストラになったらどうしよう。)

という不安と戦っています。


いつも目の前に険しい坂道があり、この坂さえ越えたなら幸せになれる、と信じて登っている

その繰り返しで七つの坂を越えて、40歳になってしまった、まだ坂の途中、と歌っています。

 

大学に入れたら、就職できたら、出世できたら、結婚できたら、子供が生まれたら、家を持てたら、

離婚できたら、子供がいい大学に入れたら、病気が治ったら、あーなったら、こーなったら

と明日に望みをかけ、今の不安と戦っています。


あーなってないから不安なんだ、こーなってないから憂鬱なんだ、と思っていますが、どれだけ環境が変わっても、なお一向に無くならない不安の根源があることを人類は知りません。


この不安は何を手に入れても、誰と一緒にいても、宇宙の果てにまで逃げてきても、絶対に無くなりません。私自分の心の中に不安の根源があるのですから。


仏教はその不安の根源を『無明の闇』といい、この心の闇を破ることを唯一の目的とします。


無明の闇(2)

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■「やりたいことやったら死んでもいい」

という人はあります。偉人の名言にもこういう類は多いです。

しかし仏教ではこのセリフは「死んだらどうなる?」ということを考えたことにない人の寝言である、と喝破します。

 

死んだあとはどうなるのか?あるのか、ないのか?あるならどんな世界なのか?

 

本当に真面目に考えた人ならば「好きなことやって死んだら本望」といえないことはわかります。

「今日一日さえ楽しければどんな明日を迎えてもいい」という人はいないはずです。

 

ひどい明日が行く先に待っているとなれば、今日一日さえ楽しめなくなる、のが人間なのですから。

明日のことが明るくならないと今日も明るくなれないのです。

明日はどうなるかわからないのに、今日一日は大安心、ということはありえません。

 

明日の対策は手帳で確認したりして準備に余念がないのに、死後、となると何の準備もなければ、気にもしていない。

 

それはなぜでしょう。

死後は遠い先と思っているからでしょうか。

 

・・・しかしそれは本当でしょうか。毎日交通事故で死んでいく人が日本で15人近くありますが、

その人にとっての「死後」は「明日」よりも身近なところにあったのです。

 

「今さえ楽しければいい」という人は「今」もわかっていなければ「楽しみ」も知らない人だ、といえます。寝言だから目を覚まさせなければならない、と警鐘乱打されたのが釈迦のご一生でした。



無明の闇(3)

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「何があっても自殺はだめだ、それだけはだめだ」
という人もある。

「死にたければそれも一つの権利だ。本人が死にたいなら、
自由にさせてやればいい。」
という人もある。

 

自殺は是か非か。


これを論じるに当たってどうしても問題になるのは、
【死後の世界はどうなっているのか】ということになりましょう。


死んだら無になるのか。骨と灰が残るばかりで、私、という存在は無くなるのか。

もしそうなら、苦しい人生に終止符を打つのも一選択肢として「あり」です。

 

アラブの正義のために自爆テロで死ねば、ハーレムで暮らせるなら、そういうことに命使うのは本望、
ということになりましょう。

 

一昔前の日本なら、「お国のために死ねば靖国神社で英霊として祭られるんだ。」と教育されたので、
特攻隊で命散らす、という形の自殺は良いことであったのです。

 

「死んだら天国で見守ってます。」といわれる場面もあるが、そんなけっこうなところなら、これまた自殺してもいいことになる。

 

死後の世界はどうなっているのか、この問題を不問にして自殺の是非を語っても、根っ子のない、不毛の議論になってしまうのです。


星新一のショートショートにこんなのがありました。

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死後の世界と交信できるテレビが発明された。
すでに亡くなった親類縁者・友人達が言うには、死後の世界は無条件にあらゆる苦悩から解放される楽園であるらしい。

それを信じて自殺した人もすぐにテレビの向こう側に現れ
「こんなことならもっと早く死ねばよかった。君らも早く来い」
「死刑など即刻廃止し少しでも長生きさせる刑に改正すべきだ」
などと口々に語り始める。

 

かくて大半の人間が自殺をとげ、廃墟となった町で、ブルドーザーで死体を片付けている男。

数少ない他の生き残りになぜ自殺しなかったのか、と聞かれ答える。

「さあな。俺には生まれつき信じるという能力が欠けているらしい」

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・・考えさせられませんか?



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