仏教を勉強したい人が最初に知っておきたい『運命の仕組み』【因果の道理(1)】

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コーヒー大手のスターバックスが熱すぎるお茶を出したために訴えられた、というニュースがありました。やけどなどで心身ともに苦痛を受けた、と主張しているとか。
賠償額は明らかになっていないそうですが、これがまた何億円という額なのではないでしょうか。

 

ちょうど私がアメリカにいたときに、マクドナルドに、コーヒーのやけどで賠償金約290万ドル(約2億7千万円)の支払いを命じる、という評決があって、これも話題になりました。

 

しかしこんなことで訴訟とか賠償請求とか、という発想はちょっと日本では考えられないですね。

 

もし私が「ドトールのコーヒーが熱くて心身ともに苦痛を受けたので、訴えようと思うんだ」と周りに相談したら、友人は「菊谷隆太は大人気ない奴だ」と噂が立つでしょうし、おそらく家族や兄弟などは 「親戚中の恥だからお願いだからやめてくれ」と言いそうな気がします。

 

「熱くて当然のものをこぼしてやけどしても、それはオマエの不注意だろ」と言われるでしょうし、自分もそう思うでしょう。

 

■『自業自得』という仏教の言葉があります。【業】とは「行為」。【得】とは「(果報や報いを)受ける」ということです。

 

【自分の受ける運命は自分のまいた種による、周りのせいではないのだよ】

これは仏教の根幹をなす教えですが、日本人の、ものの考え方の根底にはこういった仏教思想が息づいているんだな、と感じます。

 

とくに海外に行くと、「なぜこの場面でこういう発想になるの」と苦笑することの連続で、「それ、自業自得でしょ」と言いたいのですが、日本でいう「自業自得」にあたる適切な言葉がなくて、説明
しても時間がかかってしまうことが何度もありました。

 

■日本人はなにかと「自分は無宗教ですから」と主張します。 宗教を信じている人は弱い人間だ、という固定概念が日本人にはあ るからなのか、ことさらにそのように言うことを誇っているような
風潮さえ感じます。

 

ところがそんな日本人も、留学の際には「あなたの宗教は何か」と 問われたら「仏教です。」と答えなさい、とアドバイスされます。 「無宗教です。」と答えると、違和感を持たれたり、「それはなぜ
だ。」と追求されるから、です。

 

しかし実際でも、海外で現地の人と接していると自分の思考パター ン、ものの捉え方の中に【自業自得】【諸行無常】といった仏教思 想が根を下ろしていて、そういう思考を持たない人がいる、という
現実に触れて「やはり日本は仏教国なんだな。」と感じられる場面は多々あると思います。

 

日本人が古から大事にはぐくんできた『自業自得』ということについて話をしていきます。

仏教は決して運命論・宿命論ではない。

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■大学の合格発表掲示板の前で「あった~!!」と自分の番号を見 つけて感涙にむせぶとき、苦節2年、蛍の光、窓の雪・・過去の苦労が走馬灯のようによみがえってきます。

 

▼仕事で成果を挙げた時▼好きな人に告白されたとき▼周りから評価を受けたとき、いわゆる成功したときには「努力が報われた~ 」と歓喜します。

 

その努力、苦労が一通りでない場合、その喜びもひとしおでしょう、

 

■成功者は「なぜあなたは成功したんですか」と尋ねられれば、それはもうしゃべるしゃべる。自伝まで書く。「ここが私は勝負だと思ったんです。」とディテールにわたって熱く語るものです。

 
「他の人のやらないことをやったからだ。」
「あれだけ努力したんだから、この成功はその結晶だ」
と自負することでしょう。またその言は事実でしょう。その決断、行動がその人を成功に導いたに違いありません。

 

■しかし、それがわかるのなら、成功したときだけじゃなくて、失敗した時でも自分の決断、行動に原因を求めねばならないでしょう。

 

成功した時は「自分の腕」なら、失敗した時も「自分の腕」が原因といわねば、その人の主張には一貫性はないではないか。

成功した時は、常に【自分の手柄】。失敗した時は、いつも【人のせい、社会のせい】

これではあまりに調子が良すぎないか。

 

いい時だけその原因を自分に求めて、悪い時には八つ当たりしたり、それらしき人が分からない場合は犯人探しを始める、それはあまりに自己本位の、ご都合主義ではなかろうか。

 

■すべては『自業自得』カボチャの種から大根の芽が出たためしがない、まいたタネしか、生えてはきません。遅速はあっても、いつかは必ず、果報を受ける。歴然として私がない、これを『因果の道理』といいます。


仏教の説くカルマとは

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先回は、儲かったときは「俺の腕で」とすぐ思えるのに、損したときは「運が悪かった」「あいつのせいだ」となってしまう、人間の実態に触れました。

 

良い結果が来ると、「自因自果、自業自得はまことだなあ」と納得 するのに、失敗、挫折や不幸が来ると自業自得とはもう思えない。

 

なぜ私達の心はそうなってしまうのか?? 考察してみます

 

■2004年、アメリカの心理学者、トラフィモウとアーメンダリッツの研究です。彼らは、400名の大学生に対して、“人にしてあげた親切な行動”と、“人にしてもらった親切な行動”を、書き出させました。

 

結果は、なんと。。 「人にしてあげた親切な行動」を、35倍も覚えていたのです。つまり、もしあなたが何かのことで“~してあげたのに。。”という思いをもっているなら、その35倍、“~してもらった”ことがある、という衝撃のデータ結果なのです。

 

■そういえば、私も小学生の時、芝生のきれいな公園で友人と遊んだのですが、遊び終わって友人がいなくなった後、自分達が出したごみが散乱しているのに気付き、夕闇の迫る中、私一人、そのときのごみを集めて、ひそかにゴミ箱に入れたのを、今も覚えています。

 

これは私の人生の中では、ひそかに美談として自負する、思い出の一ページなのです。今でもしっかりその時の光景を覚えていますから。

 

自分はその何十倍も、捨ててはならないところにごみを捨てっ放しにしたことがあるのに、それはすっかり忘却のかなたです。

 

なんと自分本位の記憶でしょうか

 

■『借りた金は忘れるが、貸した金はもう忘れない』ということわざもあります。借りた金を請求された時は「えっ、そんなに借りたっけ」と首かしげたり、返済する時は多く請求されたような気持ちにもなり、損した気分になって不機嫌になる。

 

一方、貸した金を請求するときには、義憤にかられた裁判官にでもなったかのようになる。

 

■普段やっている、おびただしい悪い行為を忘れているから何かあると「私が何をやったというの?あいつのせいじゃないか」と恨むのでしょう。

 

良い結果が来ないと焦ったり、イライラする時も、自分の日ごろの種まきを冷静に振り返ってみれば、「まかぬ種は生えぬ。刈り取らねばならない一切のものは自分の撒いたものばかり」と知らされてまいります。



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