愛する人との別れ【愛別離苦(1)】

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人生の目的は?と問われて、

「好きな人のために生きることだ」
と答える人は相当あるかと思います。

人は真に大切にしたいという人と巡り会ったとき、 その人生は大変わりします。


以前勉強会に来られた方が言われていたことですが、その方は印刷会社に勤めている20代の方で、数年前は酒とナンパとギャンブルで荒れた生活を送り、借金を抱えていたそうです。そんな折に、今の奥さんと出会い、この人と一緒になりたい、大切にしたいと、生活をガラッと改めたそうです。ギャンブルをやめ、借金を返し、今は子供もできて、
「仕事もっとがんばらないと。頼られているから」
とぼそっと言われていたのはかっこよかったです。


人は心底から「この人を守りたい」と思ったとき、強くなります。優しくなります。充実感が胸にあふれます。

これぞ生きる意味だ、と多くの人が思うのもうなづけます。

ドラマでも映画でも、常にこのテーマで語られるのも共感を得やすいからでしょう。

「生きる目的は好きな人と共に生きることにある」と信じて、ソウルメイト、運命の人を探します。
「ああ、私を待っている人はどこにいるの」と一日千秋の思いで待ち続けている人は多いようです。

 

しかしこの幸福はたしかに大きいものではありますが、果たして人生の目的といえましょうか。

仏教に『愛別離苦』という言葉があります。
お釈迦様が私達の苦しみを8つに分けられた『四苦八苦』の中の一つです。

『愛別離苦』とは、文字通り、愛する人と別れなければならない苦しみ、のことです。

スイスの哲学者ヒルティは

「愛は心の底にしみとおる幸福ではあるが、あらゆるものを破壊する不幸ともなりかねない」
と忠告しています。

その愛する心が純粋であればあるほど、その愛する人を失う痛嘆は深さを増すからです。

だから辛く悲しい体験をした人は、「あんな思いはもう嫌だ」と恋人が現われるのが怖くなることもあるのです。


太宰治は
「臆病者は幸せさえも恐れるのです」
と言っていますが、このことです。


好きな人との出会いは私たちに喜びを与え、幸福を支えますが、同時にそれらは不幸や涙の元にもなります。

「どうして笑っているの?」と聞けば、好きな人がいるから笑っているのですし、
「どうして泣いているの?」と聞けば、好きな人が原因で泣いているのです。


幸せになりたいと、ライバルと争ってまで好きな人を手に入れたのに、あれは不幸や涙の元を必死に我が物にしようとしていたのか、と嘆くことさえあるのです。

 

 

愛する人との別れ【愛別離苦(2)】

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テレビや街頭で平原綾香の「ジュピター」の音楽が流れて
いるのを聞くと、胸が締め付けられる、という友人がいま
す。先日などは喫茶店で流れてきて、涙が出そうになった
そうです。

「どうして?」と聞くと、「4年前に別れた彼氏からのケ
ータイの着信のメロディー音だったから」と照れ笑顔で返
しました。

 

彼女にとっては、携帯からそのメロディー音が流れてくる のが、一日でも一番喜びを感じる瞬間だったのでしょう。

その彼氏と別れてしまった今、4年たってもそのメロディーが聞こえてくるのが辛い、というのですが、わかる気がします。


「氷雨」という演歌も情感を感じる歌詞でした。北の酒場である女性がマスターに向かって語りかける歌詞になってます。

「酔わせてください、もう少し。今夜は帰らない。帰りたくない。誰が待つというの、あの部屋に。
そうよ誰もいないわ、今では」


【どうして人は別れねばならないのでしょうか】

仏教に『諸行無常』という言葉があります。諸行とは全てのもの。無常とは常がない。すべてのものは変わっていく、ということです。

 

中でも無常なものは「心」だと説かれています。心は、ころころころころ変わり続けるから「こころ」という。「この人が好きだ」という心も、あの時はあんなに真剣だったのに、移ろい変わっていき、
今はどこにもその時の心はない、まさに【心ころころ】です。


恋人同士が、好きになるのも、冷めるのも、両者同じタイミングで「1,2の3、ころっ」と同時に
変わるというのなら悲劇にはなリませんが、そう都合良くはいきません。
たいていどちらかが先に心が変わりますので、一方は辛い経験をしなければならなくなってきます。


相手が先に心が変わった場合は「裏切られた」「ふられた」「捨てられた」と称され、こちらが先に心が変われば 「あきた」「冷めた」と言われます。

 

愛する人との至福が、いつの日か別れねばならない辛さに変じたり、なかなか別れられない憂苦を生じさせたりするものです。生きていれば、この苦悩は逃れられません。

 

源氏物語でもシェークスピアでも、この苦悶にあえぐ人間が描かれてきました。これはどれだけ文明が進歩しても変わりません。こちらも相手もお互い変わり続ける心しかない。

 

そんな我々が、変わらない幸せを手に入れることが果たしてできるのでしょうか。

仏教はこの問いに敢然と目を向けています。

 

 

愛する人との別れ【愛別離苦(3)】

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高田馬場で山手線に乗り込んだところ、同じ電車の同じ車両に乗り合わせた人がそこには乗っています。

目を引くような落ち着いた美人が向かいに座っています。
右斜め前には口や鼻にピアスつけた金髪の青年です。

その他、いろいろな人を乗せて新宿方面に向けて電車は動きます。

一駅一駅着く度にドアが開き、何人かが降り、何人かが乗ってきます。

新宿で美人が降りてしまいました。ピアスはまだいます。

駅で乗り降りが繰り返され、渋谷あたりになると、最初に車両に乗っていた人はだいぶいなくなって、
乗客の顔ぶれもずいぶん変わっています。ついに五反田でピアスが降りました。そして品川。自分が降りる番です。自分が降りた後も、今まで乗っていた車両はたくさんの乗客を乗せてわいわいがやがやと東京方面に去って行きます。


さて、この電車の旅は、人生の出会いと別れを象徴しました。
生まれたときにすでに人生の車両に乗っていたのがお父さんであり、お母さんであり、お祖父ちゃんで
あり、お祖母ちゃんです。入学式、卒業式、入社や転職、引越しなどのたびに、出会いと別れを繰り返しました。私でしたら4人の祖父母のうち、もう3人は人生の電車から降りてしまいました。


「ぜったい嫌だ、行かないで~」と嘆いても、やっぱり降りるべきところで、人は次々と降りてゆきます。ある駅で生涯の伴侶となる人が乗ってきます。それから数駅行くと、ある駅で自分の子供が乗って
きます。どこかで自分の両親も降りていきます。
「わしら、もうこの辺で降りなければならないから。あとはお前たち、しっかりやってくれ」
と、いつまでも一緒にいたい人も、降りる時がきたら降りていきます。

 

いつかは【自分自身】が死んでいく時がやってきます。

自分が降りた後も車両の中に子や孫を乗せて次の駅にと向かっていくのです。


そうなると、どんなに大好きな人でも、人生という電車の何区間かを共にした、ということであって、
ずーっと一緒に居続けられる人、というのは一人もいないのです。


ライブドアショックからまもなく8年になるとのことですが、あの当時、あなたの周りで一緒に過ごしていた人の顔を思い出してください。

そのとき付き合った人、家族、飲み友達、職場の上司、友人・・・
今もその人があなたの人生の車両に乗っていますか?


今、そばにいて接している人もあと10年もすれば
「あ~、あの頃、あんな人いたな~」
と遠い目をして懐かしむ人になっているかもしれません。


5年、10年、20年と時を経るにつれ、新陳代謝激しく、自分の周りの人たちも変わっていきます。

サザエさんのように、20年経っても、家族の団欒も職場の仲間も近所付き合いの人もまったく変わらないというのはドラマの中だけのことです。


人生は出会いと別れを繰り返す。これを仏教で『会者定離』といいます。

そしてその別れていく人が大切な人であった場合、『愛別離苦』という苦しみになります。何人も避けられない苦しみです。


この悲しみに耐えて生きていくのは何のためなのでしょうか。


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